| 政体 |
複数政党制に基づく共和制 |
| 元首 |
3主要民族の代表から成る大統領評議会議長(8ヶ月毎の輪番制で、現在はセルビア系のラドマノビッチ議長) |
| 議会 |
2院制(代議院(下院)42名、民族院(上院)15名) |
| 政府 |
3主要民族から成る閣僚評議会が政府の役割を果たしています。
- 首相に当たるのは閣僚評議会議長で、現在は、ニコラ・シュピリッチ氏(セルビア系)(2007年2月就任。2008年2月再任)。
- 外相はスヴェン・アルカライ氏(ユダヤ系)(2007年2月就任。2008年2月再任)。
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| 内政 |
- ボスニア・ヘルツェゴビナは旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つで、約430万人の人口の民族構成はボシュニャク(ムスリム)系44%、セルビア系33%、クロアチア系17%でした。旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、92年4月、ボスニアの独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族がボスニア全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万、難民・避難民200万と言われる戦後欧州で最悪の紛争となりました。
- 95年12月、デイトン和平合意の成立により戦闘は終息。ボスニアは、ボシュニャク系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」、及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」という2つの主体(エンティティ)から構成される一つの国家となりました。それぞれの主体が独自の警察や軍を有するなど、高度に分権化されています。
- 和平履行は、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当。軍事面での成果は上がっており、治安も概ね安定しています。2004年6月のNATO首脳会合でNATO各国首脳は、ボスニアの改善された治安を考慮し、SFORを2004年末で終了させることを決定しました。2004年12月からはEU部隊であるEUFOR(EU Force in Bosnia and Herzegovina)がボスニアの治安を維持する目的でアルテア作戦(Operation Althea))を遂行中ですが、治安の安定を受けてEUFORは2007年末までに約2,500名規模まで縮小されました。
- 2000年に実施された国政選挙では、中央レベル及びボスニア連邦において、紛争勃発後初めて社会民主党(SDP)を中心とする非民族主義政権が誕生しました。しかしながら、2002年10月の国政選挙の結果、非民族主義政党が伸び悩み、大統領評議会員選挙では3名ともいわゆる民族主義政党出身者が当選する等、結果的に民族主義勢力が伸張することとなりました。 2006年10月の国政選挙では、これまで民族主義的だった政党がその色を薄める中、新たな政党が民族主義を掲げ議席を伸ばしました。
- 2007年1月、シュピリッチ氏(独立社会民主主義者連合(SNSD))が閣僚評議会議長(首相に相当)に選出され、同年2月9日、シュピリッチ内閣が発足しました。同首相は2007年11月に辞任したものの翌年2月に再任しています。
- 民族対立は完全に解消されたわけではありませんが、「欧州大西洋機構への統合」、つまりEU及びNATO加盟は、民族を超えた共通の目的であり、ボスニア政府はこの目標に向かって国際社会の支援を得ながら諸改革に取り組んでいます。
- 警察改革や公共放送法の採択での進展が認められて、EUは2005年11月7日にボスニア・ヘルツェゴビナとの安定化連合協定(SAA)締結交渉の開始を承認しましたが、SAAの締結交渉及びEU加盟プロセスの行方は、引き続き国内の諸改革への取組みや旧ユーゴ国際刑事裁判所への協力等がポイントになります。2007年12月4日、警察改革の進展が認められボスニア・ヘルツェゴビナはSAA仮署名を果たしました 。
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