ボスニア・ヘルツェゴビナ(BH)概要

  • 一般事情
    • 面積 5.1万km2
      人口 379.2万人(13年10月に実施された国勢調査の暫定結果)
      首都 サラエボ
      言語 ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
      宗教 イスラム教、セルビア正教、カトリック
      略史        
      6世紀 スラヴ人定住開始
      12世紀後半 ボスニア王国成立
      1463年 オスマン帝国によるボスニア征服
      1878年 ベルリン会議(オーストリア・ハンガリー帝国支配下の一州となる)
      1908年 オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合
      1914年 サラエボ事件
      1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国
      1941年 クロアチア独立国に編入
      1945年 ユーゴスラビア構成共和国の一つとして発足
      1992年3月 ボスニア・ヘルツェゴビナ独立宣言
      1992年4月 ボスニア紛争
      1995年11月 デイトン和平合意成立
  • 政治体制・内政
    • 政体 複数政党制に基づく共和制
      元首 3主要民族の代表から成る大統領評議会メンバー(議長は8ヶ月毎の輪番制)   
      • ムラデン・イバニッチ(セルビア系)
      • バキル・イゼトベゴビッチ(ボシュニャク)
      • ドラガン・チョービッチ(クロアチア系)
      議会 2院制(代議院(下院)42名、民族院(上院)15名)
      政府 3主要民族から成る閣僚評議会が政府の役割を果たしています。
      • 首相に当たるのは閣僚評議会議長で、現在は、デニス・ズビズディッチ氏(ボシュニャク)(2015年2月就任)。
      • 外相はイゴル・ツルナダク氏(セルビア系)(2015年3月就任)。
       
      内政
      • ボスニア・ヘルツェゴビナ(BH)は旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つでした。旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、92年4月、BHの独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族がボスニア全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万人*、難民・避難民200万人と言われる戦後欧州で最悪の紛争となりました。    
      • *正確な犠牲者数は諸説あり、旧ユーゴ国際刑事裁判所の検察官事務所は、2010年までの調査で、犠牲者数は約10万4千人(ただし、戦闘行為や一方的暴力行為(大量虐殺)による被害者のみ換算)と見積もっています。
      • 95年12月、デイトン和平合意の成立により紛争は終息。BHは、ボシュニャク系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(BH連邦)」、及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」という2つの主体(エンティティ)から構成される一つの国家となりました。それぞれの主体が独自の行政府・立法機関(議会)や警察を有するなど、高度に分権化されています。
      • 当初、和平履行は、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当していましたが、2004年12月からはEU部隊であるEUFOR(EU Force in Bosnia and Herzegovina)がBHの治安を維持する目的でアルテア作戦(Operation Althea))を遂行中です。EUFORは現在約600名規模まで縮小されています(2013年現在)。
      • 民族対立は完全に解消されたわけではありませんが、「欧州大西洋機構への統合」、つまりEU及びNATO加盟は、民族を超えた共通の目的であり、BH政府はこの目標に向かって国際社会の支援を得ながら諸改革に取り組んでいます。
      • 警察改革や公共放送法の採択での進展が認められて、EUは2005年11月にBHとの安定化連合協定(SAA)締結交渉の開始を承認、2007年12月には、警察改革の進展が認められBHはSAA仮署名を果たしました 。現在、EU加盟に向けての改革への意思表示をBH内の主要政党が書面で示すことが、SAA発効の条件となっています。
      • 2014年10月の国政選挙の結果、大統領評議会選挙では、イゼトベゴビッチ氏(ボシュニャク、民主行動党(SDA))、イバニッチ氏(セルビア系、民主進歩党(PDP))、チョービッチ氏(クロアチア系、クロアチア民主同盟BiH(HDZ・BiH))が当選しました。BH議会とBH連邦議会では、SDAが第一党となり、RS国民議会では、社会民主主義者連合(SNSD)が議席を減らしながらも第一党を維持しました。また、HDZ・BiHは大多数のクロアチア系有権者からの支持を獲得しました。
  • 外交・国防
    • 外交方針
          • 欧州の一員としての道を歩もうとしており、2001年、欧州評議会への加盟が実現しました。また、BHはEU加盟を国家の最優先課題の一つとしており、2005年11月にEUがBHとの安定化連合協定(SAA)締結交渉の開始を承認し、07年12月には仮署名が実現しました。BHはEU加盟を目指して今後とも国内の諸改革に取り組むこととなります。 目下の課題はEU加盟候補国の地位を獲得することですが、その条件の一つとして、少数民族に大統領評議会及びBH上院の被選挙権を与えていない憲法の改正が求められていたものの、国内で合意が得られなかったため、現在EUは、より喫緊の課題として、社会・経済分野を中心とした改革を促しています。
          • 2006年12月にBHは国防分野での改革の進展等を受けて、NATOの「平和のためのパートナーシップ協定(PfP)」への加盟を果たしました。 10年4月には、BHの加盟行動計画(MAP)参加がNATOによって承認されましたが、MAP開始には国防財産のBH国家への登記が条件となっており、国内の合意が得られていないため、これ以降は進展していません。
          • 近隣諸国との関係では、イゼトベゴビッチ大統領評議会ボシュニャク・メンバーがセルビアとの関係改善を表明し、14年5月には、ブチッチ・セルビア首相がサラエボを訪問、BHの領土的一体性を尊重する旨発言し、BH・セルビア関係は改善しています。また、2013年7月にEU加盟を果たしたクロアチアとも新たな経済・貿易摩擦は生じているものの、比較的良好な関係を構築しています。
      国防
          • 紛争終結後も長い間2つのエンティティがそれぞれ独自の軍事力を有していましたが(ボスニア連邦側が約2万7千、スルプスカ共和国が約2万)、 国防改革の一環として2003年12月に国防改革法を採択、統一指揮系統の設置が可能となりました。また、06年1月から軍事に関する権限・機関は全て国レベルに統一されることなり、これにより、各エンティティ国防省は廃止され、各エンティティ軍は中央レベルの軍に入隊することとなりました(但し連隊以下のレベルでは民族別構成が維持されます)。
          • 2009年から現在まで、NATOの国際治安支援部隊(ISAF)の活動のために、アフガニスタンに部隊が派遣されています。
  • 経済
    • 主要産業 木材業、鉱業、繊維業、電力
      GDP 177.28億ドル(13年、BH中央銀行)
      1人当たりGDP 4,675ドル(13年、BH中央銀行)
      経済成長率 1.6%(13年、BH中央銀行推計)
      物価上昇率 -0.9%(14年、BH国家統計局統計)
      失業率 27.50%(14年、BH国家統計局推計)
      貿易額 (1)輸出 44.4億ユーロ(14年、BH統計局)
      主要輸出相手国:1位ドイツ、2位イタリア、3位クロアチア
      (2)輸入 82.8億ユーロ(14年、BH統計局)
      主要輸入相手国:1位ドイツ、2位クロアチア、3位イタリア
      通貨 97年7月より国内統一通貨(兌換マルク:KM)が発行されています。
      KMは旧ドイツ・マルクとユーロの交換レート(1ユーロ=1.95583KM)で固定されています。KMの固定レートは中央銀行によって管理される「カレンシー・ボード制度」によって維持されています。