ボスニア情報

令和2年6月10日

一般事情

面積 5.1万km2
人口 332.3万人(2018年・世界銀行)
首都 サラエボ
言語 ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
宗教 イスラム教、セルビア正教、カトリック
略史    
6世紀 スラヴ人定住開始
12世紀後半 ボスニア王国成立
1463年 オスマン帝国によるボスニア征服
1878年 ベルリン会議(オーストリア・ハンガリー帝国支配下の一州となる)
1908年 オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合
1914年 サラエボ事件
1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国
1941年 クロアチア独立国に編入
1945年 ユーゴスラビア構成共和国の一つとして発足
1992年3月 ボスニア・ヘルツェゴビナ独立宣言
1992年4月 ボスニア紛争
1995年11月 デイトン和平合意成立

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政治体制・内政

政体 複数政党制に基づく共和制
元首
3主要民族の代表から成る大統領評議会メンバー(議長は8ヶ月毎の輪番制)
現在の(2018年10月発足)の構成
  • シェフィク・ジャフェロビッチ議長(ボシュニャク系),
  • ジェリコ・コムシッチ議員(クロアチア系),
  • ミロラド・ドディック議員(セルビア系)。

 ジャフェロビッチ議長の議長任期は2020年3月から2020年11月までの予定。

議会 2院制(代議院(下院)42名、民族院(上院)15名)
政府
3主要民族から成る閣僚評議会が政府の役割を果たしています。
  • 首相に当たるのは閣僚評議会議長で,ゾラン・テゲルティヤ氏(セルビア系)(2019年12月就任)。
  • 外相はビセラ・トゥルコビッチ氏(ボシュニャク系)(2019年12月就任)。
内政

ボスニア・ヘルツェゴビナ(BH)は旧ユーゴ連邦を構成した共和国の一つでした。旧ユーゴ連邦の崩壊が進む中、92年4月、BHの独立を巡って民族間で紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族がボスニア全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた結果、死者20万人*、難民・避難民200万人と言われる戦後欧州で最悪の紛争となりました。

*正確な犠牲者数は諸説あり、旧ユーゴ国際刑事裁判所の検察官事務所は、2010年までの調査で、犠牲者数は約10万4千人(ただし、戦闘行為や一方的暴力行為(大量虐殺)による被害者のみ換算)と見積もっています。

95年12月、デイトン和平合意の成立により紛争は終息。BHは、ボシュニャク系及びクロアチア系住民が中心の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(BH連邦)」、及びセルビア系住民が中心の「スルプスカ共和国」という2つの主体(エンティティ)から構成される一つの国家となりました。それぞれの主体が独自の行政府・立法機関(議会)や警察を有するなど、高度に分権化されています。

当初、和平履行は、民生面を上級代表事務所(OHR)が、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(SFOR)が担当していましたが、2004年12月からはEU部隊であるEUFOR(EU Force in Bosnia and Herzegovina)がBHの治安を維持する目的でアルテア作戦(Operation Althea))を遂行中です。EUFORは現在約600名規模まで縮小されています(2013年現在)。

警察改革や公共放送法の採択での進展が認められて、EUは2005年11月にBHとの安定化連合協定(SAA)締結交渉の開始を承認、2007年12月には、警察改革の進展が認められBHはSAA仮署名を果たしました 。現在、EU加盟に向けての改革への意思表示をBH内の主要政党が書面で示すことが、SAA発効の条件となっています。

2018年10月の国政選挙後は,主要課題を巡る見解の相違等により主要政党間の足並みが揃わず、2019年12月にようやく新政府が発足し、大統領評議会メンバーは、2018年11月に就任しました。

民族対立は完全に解消されたわけではありませんが、「欧州大西洋機構への統合」、つまりEU及びNATO加盟は、民族を超えた共通の目的であり、BH政府はこの目標に向かって国際社会の支援を得ながら諸改革に取り組んでいます。

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外交・国防

外交方針
ボスニア・ヘルツェゴビナは欧州の一員としての道を歩もうとしており、2001年、欧州評議会に加盟しました。また、2008年6月、EUとの間でEU加盟の前段階となる安定化・連合協定(SAA)に署名しました。その後、英独イニシアティブを契機として、2015年6月にSAAが発効しました。2016年2月にはEU加盟候補国申請を行い、同年9月、EUに同申請が受理されましたた。目下の目標は、EU加盟候補国の地位獲得です。
重要な外交課題の一つであったNATOの「平和のためのパートナーシップ」加盟については、2006年11月に加盟を果たしました。また、2010年4月には加盟のための行動計画(MAP)開始が条件付きで承認されましたが、条件の履行が進まなかったため開始は棚上げされ、2018年12月にようやく開始されました。
 
国防

デイトン和平合意に基づき軍備管理協定による軍事上の安定を図る努力がなされた結果、常任軍事委員会が設置され同委員会は兵力の15%削減を決定し1999年末に実施されました(削減前の兵力は,ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側が約2万7千,スルプスカ共和国が約2万)。国防改革の一環として、2006年1月から軍事に関する権限・機関は全て国レベルに統一されることなり、これにより、各エンティティ国防省は廃止され、各エンティティ軍は中央レベルのボスニア・ヘルツェゴビナ軍に入隊することとなりました(但し連隊以下のレベルでは民族別構成が維持される)。

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経済

主要産業 木材業、鉱業、繊維業
GDP 201億ドル(2018年・世界銀行)
1人当たりGDP 5,740ドル(2018年・世界銀行)
経済成長率 3.6%(2018年・世界銀行)
物価上昇率 2.8%(2018年・世界銀行)
失業率 18.4%(2018年・BH統計局)
貿易額 (1)輸出:7,182百万ドル(2018年:BH統計局)
主要輸出相手国:ドイツ、クロアチア、イタリア、セルビア、スロベニア
(2)輸入:11,629百万ドル(2018年:BH統計局)
主要輸入相手国:ドイツ、イタリア、セルビア、クロアチア、中国
通貨 97年7月より国内統一通貨(兌換マルク:KM)が発行されています。
KMは旧ドイツ・マルクとユーロの交換レート(1ユーロ=1.95583KM)で固定されています。KMの固定レートは中央銀行によって管理される「カレンシー・ボード制度」によって維持されています。