ボスニア・ヘルツェゴビナ情報
ボスニア・ヘルツェゴビナは、東西の文明の十字路としてオスマン・トルコ、オーストリア・ハンガリー帝国等、各時代の支配者文化の影響を受けてきたために、多民族の重層的な文化を残す歴史的な側面を持っています。また、チトー・旧ユーゴスラビア大統領(1980年死去)の下、民族友愛、自主管理社会主義、非同盟を柱に経済・社会発展を遂げ、1984年には、サラエボで冬季五輪が開催されました。その後、1990年代前半の紛争で傷つきながらも、たくましくその歴史を歩んできたボスニア・ヘルツェゴビナを訪れる際に役立つ情報を幅広く取り上げていますので、ぜひご覧下さい。
交通
-
サラエボ到着から市内中心部へ
- 入国手続き:パスポート・コントロール→荷物引き取り・税関審査
- 空港ロビー:各航空会社カウンター、レンタカー、両替所(8:00~23:00(休憩16:00~18:30))、郵便局、ロスト・アンド・ファウンド・オフィス
- 市内中心部への交通手段:タクシー(30KM程度)
- セルビア、モンテネグロ、国内各地(ビシェグラードなど)からの便:スルプスカ共和国側バス・ターミナル(ルカビツァ)に到着
- クロアチア、西欧各都市、国内各地(モスタル・ビソコ・バニャ・ルカなど)からの便:ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側バス・ターミナル(サラエボ中央駅近く)に到着
- 国境の出入国管理事務所(ブース)通過の際、パスポートの提示を求められる場合があります。
- 市内交通
- 公共交通機関
- トラム(路面電車)、トロリーバス、バス:5時から23時30分まで営業。
- チケット:各駅に隣接するキオスク、または車内で運転手から購入可能。
- 乗車の際には、車内の機械でチケットにプリント処理をします。
- 頻繁に検札があり、チケットを所持していても、この処理を怠った場合には罰金が課せられます。
- タクシー
- タクシー乗り場は市内各所にあり、市内中心部では、流しのタクシーも簡単に見つけられます。
- 料金はメーター制が基本となっています。
- 電話予約は「1515」で出来ます(英語可、24時間対応)。
- 公共交通機関
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空路:ブトミル・サラエボ国際空港
生活情報
- 天候・時差
- 天候
- 内陸性気候(南部では地中海性気候)。サラエボは標高約500mに位置する盆地で、夏は乾燥し暑く(最高気温40℃前後になることもあります)、冬は降雪と共に長く厳しい(最低気温零下20℃前後になることもあります)。
- 年間平均気温・降水量(サラエボ)
- 時差
- 夏時間使用時期:日本-7時間(3月最終日曜日の午前2時から、10月最終日曜日の午前2時)
- 冬時間使用時期:日本-8時間
- 電話
- ボスニア・ヘルツェゴビナから日本にかける場合
- 00-81-(市外局番の「0」を除いた番号以下)
- 日本からボスニア・ヘルツェゴビナにかける場合
- 00-387-(市外局番の「0」を除いた番号以下)
- 緊急電話
- 警察:122
- 消防:123
- 救急:124
- 電話番号案内
- 1182(BH Telecom)
- 1185(RS Telecom)
- 1188(HPT Mostar)
- 電気製品
- 電圧220V、周波数50Hz
- 日本から電気製品を持参する場合には、変圧器とC型変換プラグ(丸い2つの穴型)が必要
- 貨幣
- 通貨
- 通過はKM(兌換マルク)。補助通貨はフェニング(100フェニング=1KM)。
- 1ユーロ=1.95583KM(固定レート)。空港、銀行等で両替可。
- 両替可能通過及び使用可能トラベラーズ・チェックは、ユーロ等主要通貨に限られている。
- ボスニア・ヘルツェゴビナ国外でのKMから外貨への両替は、一部の国(クロアチア、ハンガリー、ドイツ、オーストリア等)でのみ可能。
- 支払い
- 国内の支払い手段:KM、ユーロ
- クレジットカード:VISA、マスター等(主要ホテル及びレストランで使用可能。最近、旅行代理店等でも使用可能になっている。)
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17.0 |
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16.0 |
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5.5 |
2.0 |
平均降水量(㎜) |
65 |
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55 |
65 |
80 |
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文化施設・行事
- 文化施設
- 国立劇場(Obala Kulina bana 9, tel:033-226-431 or 033-665-959 )
- 19世紀後半に公民館として建てられ、1921年より国立劇場としてオープンした。ほぼ毎日、演劇、オペラ、コンサートが開催されている。(7月~9月は夏期休業)
- 2005年には、我が国の文化無償により、照明機材が供与された。
- 国立美術館 (Zelenih beretki 8)
- BHの新旧併せたアーティストの作品を常時展示。様々な展覧会も催される。現在休業中
- 映画館
- 入場料3~9 KM程(2014年6月)。
- Cinema City:サラエボで最も近代的な映画館。BBI Centerの隣。(tel: 567-230 or 567-288)
- Obala Meeting Point:ミリャツカ川の南側。H. Kresevljakovica 13
- サラエボ開催の文化行事
- バシチャルシヤ・ノーチ(http://www.bascarsijskenoci.ba/)
- 毎年7月頃開催。旧市街を中心に、毎晩コンサート等が開かれる。
- サラエボ・フィルム・フェスティバル(http://www.sff.ba/)
- 1995年から開催されている国際映画祭。毎年8月中旬~後半に開催。国立劇場や各映画館で映画祭出展作品が上映される。
- サラエボ・ジャズ・フェスティバル(http://www.jazzfest.ba/)
- 1996年から毎年11月頃開催。各国からジャズ演奏家が集まる。
- MESS/インターナショナル・シアター・フェスティバル
- ヨーロッパ各国から参加者が訪れる舞台芸術の祭典。毎年10月又は11月頃に開催される。
- サラエボ・ウィンター・フェスティバル
- 1984年から毎年2,3月頃開催。各国の音楽家及び芸術家が集まり、コンサート、オペラ、展覧会等が催される。
サラエボ観光
- サラエボの観光名所
- バシチャルシヤ(Baščaršija)及びトルコ人街
- 赤瓦葺き屋根の木造建築が所狭しと立ち並び、かつてボスニア・ヘルツェゴビナを支配したトルコ的な雰囲気が漂う旧市街にある職人街です。
- 最盛期には千を越える民芸品店、宝庫が軒を並べていました。ボスニア・ヘルツェゴビナの代表的おみやげとして、金銀細工の装飾品、銅製のトルコ・コーヒー・セット、紛争中に使用された砲弾や銃弾の薬莢でつくられた花瓶・ペン等が購入できます。
- フェルハディア通り( Ferhadija )
- ボスニア・ヘルツェゴビナ最大にしてサラエボ市唯一の歩行者天国。全長1km程のこの通りをウィンドウ・ショッピングを楽しみながらそぞろ歩きし、友人を見つけてはカフェや立ち話で交流を深めるのがサラエボっ子の娯楽となっています。所々、紛争中に受けた路上の砲撃跡に赤ペンキが塗られた「戦争のバラ」が、紛争の悲劇を忘れないために残されています。
- この通りの末端(バシチャルシヤとの境、ホテル・ヨーロッパ隣)には、べジ・スタンと呼ばれる屋内ショッピング・モールがあり、数々の店が軒を連ねています。
- ベジ・スタン(Bezistan)
- バシチャルシヤとフェルハディヤ通りの境目に位置する全長105m、幅19mの屋内ショッピング・モール。
- 約50もの服、アクセサリー、土産品等を扱った小さな店が軒を連ね、その建物は、16世紀中頃に原型が完成したとされています。
- 第二次世界大戦やボスニア紛争などにより、建物は何度か破壊されましたたが、現在はオリジナルに近い形となっています。
- ガジ・フースレフ・ベイ・モスク(右写真)、新セルビア正教教会、カトリック大聖堂
- 多民族、多宗教国家ボスニア・ヘルツェゴビナの象徴であり、半径150mに満たない地域に3宗教の施設が立ち並んでいます。
- ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のノーベル文学賞受賞作家イヴォ・アンドリッチの「サラエボの鐘」でも描かれ、同作品の中では、当時サラエボで蔓延しつつあった他宗教間の不寛容が、それぞれの教会(モスク)の鐘が異なる時間に鳴り響く様になぞらえられています。
- ベイ・モスク、セルビア正教教会(サボルナ教会)、カトリック大聖堂は、毎日見学可能となっています(但し、女性のモスクの立ち入りにはスカーフ着用が必要)
- ツァレバ・モスク ( Careva Mosque )
- ラテン橋を渡った左手にある古いモスク。
- スルタン・メフメト2世への贈り物として、1457年に建立されました。現在の3つのドームは、当時のサラエボ市民たっての希望により、1566年に建てられたものです。
- ミナレットは八辺形になっており、国内にあるミナレットの中でも最も美しいものの一つとされています。このモスクの脇には墓地があり、100以上の墓石が存在し、最も古いものは15世紀のものであるといわれています。
- シティーホール・旧国立図書館 ( Viječnica )
- オーストリア・ハンガリー帝国時代(1894年)に市庁舎として建設されたサラエボのシンボル。
- 1949年より、国立図書館として数々の貴重な書物が保存されていましたが、ボスニア紛争開始直後の1992年、砲撃を受けて炎上、貴重な蔵書も大きな被害を受けました。
- ラテン橋 ( Latinska ćuprija )
- 1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公が、ボスニア・ヘルツェゴビナ駐留軍の演習を観閲するためにサラエボを訪問した際、同帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ占領・統治に反対する「青年ボスニア党」のセルビア人青年ガブリエロ・プリンツィープにより暗殺された場所のすぐそばにあることで有名な橋。2004年9月に修復されています。
- 永遠の灯( Vječna vatra) (右写真)
- 第二次世界大戦でパルチザンが、ファシストを打破し、サラエボを解放したことを記念したもので、チトー元帥通りの終点にあります。
- 第二次世界大戦時、サラエボが1945年4月6日に解放された後、第二次世界大戦の犠牲者をしのび、記念板が聖火前に建てられました。
- ‘92~95年のボスニア紛争時まで途切れることなく、聖火は火を灯し続けていましたが、紛争中の石油不足で一時その火は消えていました。ボスニア紛争が終結した95年に、聖火前の記念碑の文章は改正され、今あるものとなっています。
- 古セルビア正教会 (Mula.Mustafe.Basekije 59)
- 1539年に建設されたサラエボ市最古のセルビア正教会。
- 美しいビザンチン美術品が保存されています。美術品が保存されているギャラリーが見学できます。
- 開館時間:毎日10:00~17:00(月曜及びセルビア正教の祝日を除く)。入場料2KM(要確認)。
- スブルソ・ハウス(Svrzina kuca) (Glodina 8,)
- 18世紀に建てられたオスマン帝国時代の家に起源を発するボスニア式家屋。
- オスマン帝国時代の典型的な裕福な家庭の住居を見学することができます。
- コシェボ・スタジアム
- BH内唯一の陸上競技・サッカー複合運動場。地元の人気サッカーチーム「F.K.サラエボ」のホーム・スタジアム。
- 1984年には冬季五輪開会式がここで開かれました <>
- ゼトラ・スタジアム及び共同墓地
- 1984年開催された冬季五輪のメイン会場の一角。紛争時のサラエボ包囲下、亡くなった人々を墓地まで運ぶことが出来なくなり、また、あまりの犠牲者の多さに埋葬する場所も無くなったため、グラウンドを潰して墓地にしていました。
- 隣接するゼトラ・スタジアムは、冬季五輪ではフィギュアスケートやアイスホッケーに利用され、開会式も開かれました。銀盤の女王カタリーナ・ビットが舞ったのも、ここです。
- 紛争で全壊しましたが、1999年3月に修復が終わり、同年7月の南東欧安定協定サラエボ・サミットの会場となった他、各種コンサート等に利用されています。2004年2月には、サラエボ冬季五輪博物館が開設されました。
その他都市
- サラエボ市郊外・日帰りで行ける見所
- イリジャ ( Ilidža )
- サラエボ市の西玄関口に位置する温泉保養地。中心街からは12km程。イリジャはトルコ語で温泉を意味します。
- トラムのターミナル駅でもあり、市内から車で40分程で、温泉施設を有しているホテルもあります。
- ブレロ・ボスナ ( Vrelo Bosna )
- サラエボ市西方郊外の湧水池公園。ブレロ・ボスナは「ボスニアの泉」を意味しています。
- 週末ともなれば、岩陰から流れ出す清流沿い、草原と木陰に市民が集まり、日光浴、スポーツ、読書などを楽しんでいます。イリジャと同地を結ぶ2km余の並木道は馬車が運行しています。
- 紛争中は対立両勢力の前線であり、サラエボ市の水瓶である同地では警備が厳しく行われました。ヤホリナ ( Jahorina )
- サラエボ市南東約20kmの保養地。高度2,000m弱。
- スキー場として有名で、1984年冬季五輪のメイン会場の一つとなり、女子のアルペン競技等が行われました。サラエボ市内中心部より、車で30分程です。
- イグマン ( Igman ), ビイェラシニツァ ( Bielašnica )
- サラエボ市南西約15kmのスキー場。山頂2067m。
- 1984年冬季五輪の際には、ビイェラシニツァでは、男子アルペン競技が行われ、イグマンはジャンプ競技や、クロスカントリー競技などの会場として利用されました。
- トンネル・ミュージアムTuneli 1
- ボスニア紛争中に武器や物資の調達に使用されていた空港の地下を通る高さ約1.5m、全長約800mのトンネル。
- 現在はその一部を保存・公開している。紛争中に使用された武器などの展示物、当時の様子を映したビデオを見ることができます。
- その他の主要都市
- バニャ・ルカ ( Banja Luka ) (右写真はブルバス川)
- 人口20万弱、ボスニア・ヘルツェゴビナ北西部に位置するスルプスカ共和国の中心都市。
- 現地語でバニャは「温泉」を、ルカは「港」を意味します。周辺に温泉リゾートがあり(紛争後は、荒廃している)、市内の城趾周辺には、週末ともなれば大規模な屋外マーケットが建っています。
- モスタル(Mostar)
- サラエボ南西120kmに位置し、モスタルとは「橋の守り神」の意とされています。
- その象徴的存在であった、街の中心ネレトバ川に掛かるスターリ・モスト(古い橋)は16世紀、オスマン・トルコによって建造されました。
- 完全な半円状の石灰岩の橋から川面への飛び込み競技が有名で、飛び込み選手はモスタルの若者の憧れの存在でした。
- ボスニア紛争中、ネレトバ川東岸のムスリム系住民と、西岸のクロアチア系住民との間で激しい戦闘が起き、、市街の相当部分が激しい被害を受け、1993年11月にはスターリ・モストが全壊しました。紛争後、世銀、ユニセフ及びトルコ政府等の援助によりスターリ・モスト再建工事が行われ、2004年7月修復が完成しました。
- 最近では、多くの観光客が訪れ、ヘルツェゴビナ地方の観光名所としての活気を取り戻しつつあります。